揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

トロントの朝は早く、夜は遅い。

 つまりは夜が短いのである。

 英文法をすっかり忘れているなと思いつつ(そもそも一度として覚えたことがあったのだろうか)プレースメント試験を終えて、色々と説明を聞き、最後に学生カードを作って帰路に入る。

 物をよく落とす特性を遺憾なくカナダでも発揮し、会計中にiPhoneを固めの床に落としてしまいボタンが壊れてしまったので、仮にWi-Fiが接続できても当面は不自由だろう。うっかりしたことで不自由を背負ってしまう。老後の僕はいつまで二足歩行を維持できるのかと、あるかもわからない将来を憂う。

 さて時間を巻き戻そう。

 朝方、余裕を持って起床する。いや、昨晩は日がまだ出ていた時間帯(それでも20時半ぐらい)に寝たので体調は万全であった。洗面所に異性がいることにはまだ慣れない。アジア系ばかりの寮なので皆が同じく気まずさを感じているのだなとは思いつつも、虹の街トロントの知が集まる学舎で生活する以上慣れるしかないのだろうと支度をして、彼らの群れに紛れ込み我々が学ぶことになるESL専門のカレッジへ向かう。

 適当な場所に辿り着き、教会っぽい部屋の中に置かれていた椅子に座り、韓国や中国の方々ばかりだなと思っていたところ「ここではない」と学生スタッフ言われて、私は一人で退出する。彼らは進学コース、英語がとてもできる人間たちであった。それにしてもアジア系が多いことには驚く。正解の場所では色々な地域の人々が見えたが、それでもやはりアジア系は多めに感じる。

 ライティングのお題は「技術は世界をより良いものにするか」といった感じであり。貧困な発表語彙を思い知ることになった。技術は人間を自由にする。技術は人間を不自由にする。どちらも冗長に語りやすいトピックではあるが、それは母国語を前提としており、英語で書いてみようと思ったら全く書けないので書ける具体的な理由を絞っていくが、結局既定の200wordの半分ぐらいしか書けずに終わってしまった。本学の学生が見たらたいそう驚くであろうが、これが私の現実なのである。

 ライティングというのは、スピーキングの次に己の語学能力を正直に語ってくれる。白紙の前ではコミュ障だのシャイだのといった言訳は通用しない。この言語では、これだけのことしか思考できないし表現もできない、それだけが分かる。

 思考表現の形は各国で異なり、英語圏の場合は自分の論点を支えることばかり書くが、フランス語圏の作文は弁証法的に論述するので反対からも攻めて、最後にジンテーゼを浮かび上がらせる。英語圏も昔はそうであったらしいが大学の大衆化を理由に簡素化してしまったらしい、というどこかで聞いた子ネタを思い出す。

 昼食は空港から寮に向かった際に同じ車になった日本人の院生と、もう一人この寮に住んでいると聞いていた日本人の女の子と一緒に食べることになった。久々の日本語会話である。分かる人には分かってしまうだろうが、匿名性は高いと思うので少々記録に残しておく、そうでもしないといつの日か忘れてしまうので。

 院生の男性は野球推薦で順調に進学し修士二年目に入ったらしいが、スポーツ科学の世界では英語は重要なため、よく考えればアカデミックな世界はどこもそうであるが、教授の勧めにより休学して留学にきたという。もう一人はこの春に高校を卒業した女の子であり、進学準備のため(といっても日本の大学を志望しているらしいが)この語学学校にやってきたらしい。帰国後には予備校生活を始めると言う。所謂多浪確定というわけだが何だか健全感を漂わせる。少なくとも現役で入ったものの英語が出来ずに此処に辿り着いた留年確定の私よりは未来が明るい。

 二人とも半年以上こちらに留まる予定らしく、私のように2か月しかいない人は珍しいのかと思いきや、カードを作る行列に並んでいた際に、ホームステイではあるが、同じく2カ月だけ学びに来たという社会人の日本人男性を見つけた。日本人が少ないですねと言ったら、近頃は何処もそんなものですよ、と返された。ヨーク大学自体はとても大きな大学であるが、附属の語学学校はとても小さいので、四人もいれば数パーセントの日本人率となる。

 あと90分後にはレベルが発表されるが、恐らくアカデミック英語を学べる水準には達していないだろう。正直なところ文法もままならないし、今夏は基礎的な能力を獲得できれば十分である。この際に今まで逃げ続けてきた単語と例文の暗記を頑張り、少し位は自主的な力で思考表現を拡張したいと意気込みだけはあるが、宿題の処理で精一杯になることは目に見えている。アカデミックな読み書きは幸いなことに帰国後嫌なほど学ばされるのであるから問題ない。尤も今まではそれを受信する能力が無かったので落第し続けている訳であるから、何とかしてアンテナを完成させなければ問題になってしまう。