揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

もののあわれ

 欝々した時の「ネガティブ」な感情と、かくなる出来事の後のネガティブな感情というのは大分異なる。前者は筆も重いが、後者は何となく気持ち自体がそもそも軽くて、それでいて筆も比較的滑らかに進むのである。最初はシリーズ物の小説や漫画の最終巻を読了してしまったときに胸に感じた有終の気持ち、滅びの美、みたいなものに似たような感触が同じく胸の中に残り続けていたが、薬物常用者が離脱症状に苦しむように段々と辛みも増していく。

 時間は僕を出来事から一定の速度で限りなく現在へ引き離していく。忘れまいと事に未だしがみ付こうとして何かを必死に掴み続けている腕は、慈悲もなく動き続ける時間に引っ張られながら痛みを増し続ける。しかし人間というのは誠によく出来た機械なので、他の人間に此の度読み終えた物語の話をしていくと、文学の世界に帰ってきた辛みは再び哀愁や哀感といった感動に取って代わられる。感情もまた物理にように形を変えれば変えるほどエネルギーが減少していき、こうして段々と小さくなっていく物語はやがて、いつの日かの想い出として矮小化されてしまう。ひょっとすると消えてしまうかもしれない、それが僕にとって余りにも辛いものだったとしたら。

あの想い出は涙に流され消えてゆく、その涙を口に含むとなぜだか胸が締め付けられる。涙に満ちた其の日は未来から過去へと流れる川に流されていき、それは君と一緒に今や遠くへ離れてしまった。

 

 帰り道の小さな川沿いでズーダラ節を口ずさむ若い男性の自転車と擦れ違った。すーいすーいすーだらだっだ、すらすらすいすいすーい…

 

騙したつもりがチョイト騙された

俺がそんなにもてる訳ぁないさ

分かっちゃいるけどやめられない

- クレイジーキャッツ「ズーダラ節」