揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

逃げ道というもの

どれだけ困難であっても、茨の道しかなければ私たちはその道を通らねばならない。

しかし幸いなことに、私は他の道があることも知っている。それがどれだけ私の助けになることだろうか。

 高一の頃に学年の有力女子の気に障ったらしく(心当たりはあるけど)、軍団(?)の総力を上げて白眼視されたり当の本人からも授業中に関わらず背後から延々と暴言を吐かれたりなどして、あの頃は大分精神的に困っていたのだが、高校に行かなくなるというのは即ち留年の可能性を意味しており、大学よりも年齢主義の強い高校において留年をすることは大分抵抗が強いため仕方なく登校を続けていたが、やがて欠席は増えていった。その時に見つけた逃げ道は高校卒業程度認定試験(高認、昔の大検)に受かることであり、結果として一度で全科目通ったわけであるが、このような選択肢を知らなかったら私はどうなっていたのだろうか、と今でも時々思う。高認に受かってからは、別に留年や退学をしても大学進学に影響が出ないため、気分が乗った時に登校したり、昼食を日吉駅で済ませてから登校したりと、気ままな高校生活を送れたのは、健全か否かというとわからないが、少なくとも精神的には健全な日々を送れた。

 しかし大学に入ってからは、そういう逃げ道を、知ってはいるのだが、能力的な問題で前回のようにはいかない。さて、これからMENSAの試験を受けに行く訳だが当方、入試を突破できるほどの知能はあったが、かのクラブに入れるほどの知能があるとは殆ど思っていないのに、受けてみたいがためだけに一万円も支払いにいくのである。