揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

十代は去り行く、永遠に

 間もなく法律上「成人」という独立的な存在になってしまうのだが、実感としては大人になれないまま大人になろうとしている。尤も成人を迎えた殆どの人間がそう感じてきたと思うが・・・。身体に関しては機能上生殖が可能になった状態を以て成体となっているわけであり、近代というものがやってくるまで日本は同世代が概ね二次性徴を迎え終えた15歳あたりで成人ということになっていた。しかしそんなことは性教育が義務教育として教えられた僕らには既知のことで、恐らくが問題は精神である。選挙権を18歳に引き下げることについて論争する時に必ず出てくる批判として、18歳は精神的に若過ぎる、というものがある。しかし18歳と20歳でそんなに違いはあるのだろうか。恐らくだけど、そういう人々は成熟した精神の定義というより、社会的責任を担った経験があるか否か、ということを言い換えて問おうとしているだけではないのか・・・話がずれてしまうので止める。まぁ、社会的責任を担うことによって、自分が大人になったことを実感していくのだろうという一般的な答えについて、あくまでもシミュレーションしかできないが、そうなんだろうなぁと思いました(小並)

 授業が始まったので、それについてもちらほら綴ってみる。いわゆるコメシ重視の授業を初めて取ったわけであるが、元々手書きが苦手なのもあるのか(実は漢字があまり書けない)、なかなか生産的なコメントを書くことができない。巷ではカルスタという授業は楽単の代名詞として語り継がれているものの、授業の初めのコメント返しに出てくる学生のコメントは感心することが多い、そして自分の書いたコメントが何とも的を外れていたものであるか、その度に痛感してしまう。批判的思考と言うものを働かせば疑問というものは出てくるはずなのにそれが欠けているか、既知が邪魔してくるのか、もしくは慣れの問題に過ぎないか・・・

 最近、とある国際政治系のTRPG(?)で中国の内戦時代をモデルにした政権を担当することになり、いわゆる北洋軍閥的な位置(滅亡フラグ)を演じることになったわけである。設定を詳しく練るため色々その時代の勢力図や組織について調べてみる、ということになったのだがこの時代の日本語文献は正直なところ恵まれていない。国共内戦日中戦争については色々あるわけだが、軍閥についての記述は前者と比べてかなり少ない。同じく群雄割拠している後漢末期については三国志ブームとして、そこそこ知られているのに、同じく群雄割拠しているこの20世紀初頭は未だにマイナーな時代である。

 

 正直なところ世界史の教科書とかでは、孫文が現れて、袁世凱と組んで溥儀を退位させ、そして今度は袁世凱孫文を追い出して、次のページでは蒋介石が北伐を完了している、という感じで軽く流される。汪兆銘についても、教科書だけみていたら、単なる日本の傀儡キャラであるが、彼は蒋介石から度々国民政府の実権を奪っていたり、蒋介石を下野させたりと、中々の政争相手であったことも余り知られることはない。先日久々にあった友人がそこらへんを研究するために院に進むらしいので、今後の活躍に期待。