揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

2015-01-01から1年間の記事一覧

私は、ある夢の中を歩いていた。

ある幻想、というより理想を夢見ていたが、所詮は夢でしかない。夢は夢のまま終わりを迎え、壊れかけたパソコンの前で喧しい送風を聞きながら時間を浪費する現実に強制送還される年の暮れ、恥や罪悪感というのが年末にピークになるとも思わず、忘年の必要性…

爲憐幽獨人 流光散衣襟

記事の題は眞山民「山中の月」より、タイトルにしておいて勝手だが特に内容は関係ない五篇、僕は古人と同じく月に憧れたり美しさを想いはしても、古人たちのように仲良くすることはできないのだから。国語力が低いのによく、こういった恥ずかしいものを公然…

言語と国家

半年以上も前に書いた文章をずっと寝かせたままだったので、題意は覚えていないが形にして投稿してみる… 詩歌を始めとする国文学を読んだ後には必ずかく思う、日本語は美しいと、日本語は今日まで生きることに成功した言葉である。この世界では多くの言葉が…

攻守交替

感情が昂っている際に与えられる処方は、気持ちを言葉で書き残すという行為である。希薄な人間関係しか持たない者は私的なことを吐き出す相談する相手がいないので、Twitterで色々と綴ってしまうのであるが、そういうことばかりしていると常に根暗な存在とし…

地下に眠る学徒のメモリアル

本学を卒業した学部生の卒業論文は図書館地階に存在する自動化書庫へ収納されることになっているが、その光景を思い浮かべてみたら、それは学生達の霊安室のように思えた。数年前は大学の中で活動していた生命体に代わり、そこには一冊の本となった彼らが安…

生きて息る者

じっと佇んでいるだけで汗が湧いてくる東京の夕暮れ、周囲の人々はこれでも今日は普段より涼しい日であると私に言い聞かせるが、今まで東京より平均気温が15度も低かった都市に二ヶ月も住んでいた身として、気温差というのは時差ボケ以上に苦しいものがある…

ポエム国家群

ヴィタディア -新しきを取り入れる港町の奥では、古きものを守り続ける山が聳え立つ。 フィーナレ -それは終わりの地、我らの信ずる神は西方で死に、東方に於いて再び生まれ変わる。我らは疲れし神を癒す供応者なり。 リヴァーリエ -「夢」を追い求め、冒険…

打倒を伴わない、もう一つの道

為政者がたとえ愚かだったとしても、その天下が暫く継続すると分かっているのであれば、為政者を不用意に煽り、暴走を加速させるのではなく、為政者と取引をすることによって何かを守る、そういう人々が主流になれとは言わないが、幾らか存在できないものだ…

トロントの朝は早く、夜は遅い。

つまりは夜が短いのである。 英文法をすっかり忘れているなと思いつつ(そもそも一度として覚えたことがあったのだろうか)プレースメント試験を終えて、色々と説明を聞き、最後に学生カードを作って帰路に入る。 物をよく落とす特性を遺憾なくカナダでも発…

青天白日満地虹旗

閑話休題 食べ物を求めるべくキャンパスを歩き回り、セントラルモールという飲食店街にたどり着けた訳であるが、その手前のフードコートには大きな虹の旗が垂れ下がっていた。そういえば先日、アメリカ最高裁で同性婚が合憲であるという判断が出されたので、…

直接民主主義と議会主義の均衡

小話 機内にいる最中、私は民社党の元書記局メンバーが書いた論文集を読んでいたのだが、社会党や共産党に対する怨念の強さを感じた。これが7年前、解党から14年後に書かれているのだから相当なものなのだろう。 彼らはデモといった直接行動は議会主義の…

君はいつも私の先にいる

インプットが少なくて記事が書けないと今まで言訳を続けてきたが、いざ多くのインプットが濁流にように入ってくると、それはそれで頭の処理が追いつかず、記録するのが大変である。というのも私は春学期を終えて、三カ月だけお世話になった寮を後に、語学留…

留年受容へのプロセス

第一段階「否認」 学生は大きな衝撃を受け、自分が留年になることはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、救済措置が行われて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。 第二段階「怒り」 なぜ自分がこんな目に遭うの…

政治的価値観

ここで分野に偏重があるが、私の政治に関する価値観を記録しておこう。(2015年6月9日現在) 生存権を国家が完全に保障していることを前提に、小さな政府・規制緩和を志向する新自由主義には反対しない。伝統主義により蔓延った国家発展の枷を外す存在、欧米…

院進、再入学、留年、中退に関するお作法

院進、再入学生の家族には何と挨拶するか 「XXさんには、此の度、御院進で、洵に御名誉なことで、お目出度う御座います。おあとは、及ばず乍ら私共も何彼とお手伝ひさせて頂きたいと存じますから、どうぞご遠慮なく申しきけ下さいますやう」といふ意味のこと…

私的な宗教と公的な道徳が交る時

脱宗教的な道徳教育が実現し得るか、と言われると私はそれに懐疑的な立場である。なぜなら道徳教育を熱心に推進する議員の多くは支持基盤に何らかの宗教団体が存在しており、宗教団体は彼らを支持することによって、今後形成されていく新しい道徳教育の中に…

政治家と舞台

一生を終えた後に残るものは、私たちが積み上げたものではなく、私たちが与えたものである。 (Gérard Chaudry) 人生もまた物語のように、如何に長くではなく、如何に良きことか、というのが大事である。 (Seneca) 政治家というのは舞台で喩えるなら俳優で…

多くの人を見送り続けた私も、最後には見送られた。

我ら此処に永遠の地を持たず、然るに未来のものを求むればなり。 (ヘブライ人への手紙 13:14) 先日退寮した寮の管理人夫婦が今日の13時を以て交代してしまった。私も五日ぶりに「帰寮」し、見送る者達の中に紛れ込み、見送られた身でありながら僅かな時間…

ぼくのかんがえたさいきょうのだいがく

この地球には夢の欠片が色々なところに落ちている。そして地球には夢拾いのおじさんがいる。おじさんがいるおかげで地球は壊れた夢に沈むことはない。今日もどこかでまた誰かが夢を失いました。死ぬまで夢を忘れない人もいるけれど、この地球では途中で落と…

ある時から人間は自らの死を予測するようになった。

十歳の頃の一年は人生の十分の一を占めていた。 しかし二十歳になった私の一年は今や人生の二十分の一に過ぎない。 これからの私の一年は去年より小さく、 来年は今年より短くなっていくのだろう。 時の流れが年々速くなっていくように感じるのは錯覚である…