揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

ぼくのかんがえたさいきょうのだいがく

この地球には夢の欠片が色々なところに落ちている。そして地球には夢拾いのおじさんがいる。おじさんがいるおかげで地球は壊れた夢に沈むことはない。今日もどこかでまた誰かが夢を失いました。死ぬまで夢を忘れない人もいるけれど、この地球では途中で落としてしまう人の方が多いのです。(夢拾得)

 私には理想の大学というものを想い描く癖がある。教育は国家発展の要であり、教育が廃れれば国家を担う人材も劣化し、やがて祖国は滅んでいく。国だけではなく列島の学術も落ちぶれてしまうだろう・・・といった考えを持っているので、どのような大学が、教育システムが国家と学術の発展に繋がるか考えることが多い(しかし教育学を専攻するほど思いは強くないので結局は趣味である)。

 そして理想と照らし合わせ、私はよく在籍している大学を批判する。別に母校が嫌いなわけではない。好きだからこそ、大学淘汰時代の最中で生き残って欲しいからこそ、無批判的に全てを肯定するのではなく、悪い点は批判するのであると弁明する。

 日本や米国で最初に出来た名門大学と母校を比べても、私はそこから良い結論は得られないと思っている。彼らは総合大学であり、ICUリベラルアーツカレッジを謳っているのだから、予算、規模、システム、理念、色々と異なる(尤も予算に関しては米国の名門リベラルアーツカレッジの場合、卒業生などの寄付による莫大な基金の運用収益によって、ICUとは比べ物にならない予算規模を有している)。

 僕はリベラルアーツカレッジが好きである。リベラルアーツカレッジならばICU(International Christian University)ではなくICC(International Christian College)の方が妥当な名称ではないかと時々思うが、いまいち語感が宜しくないのと、ただでさえ認知度が高いとは言えない(皇族入学などで一時的に有名にはなるが、やがて忘れ去られていく、とかく固有名詞が無いと覚えにくいらしい)本学の名前をリセットしてしまったら、定着の為に再び悠久の時を費やさねばならないので色々と難しいものがあるのだろう。以前博物館で60周年を記念してICUの古い資料などが学内博物館で公開されていたのだが、当初は総合大学を目指していたらしく、計画されていたICUの地図は森林に満ちた自然公園ではなく建物がしっかり詰まっていた(医学部もある!)。

 本学がそれでもUniversityである所以は研究所を有していたり、博士課程を抱えている為であるらしい。リベラルアーツとプロフェッショナルの両方を謳っているなら、いっそのことプロフェッショナルスクール(専門職大学院)でも設置すれば名実ともにUniversityになれるではなかろうか。狭くなりすぎた教養学部那須キャンパスに移設して、三鷹法科大学院、経営大学院、公共政策大学院、教育大学院あたりを設置すれば本学は国内に於ける教養と実学の人材育成を牽引する存在になれる。伝統長き総合大学には真正面から立ち向かうのではなく、着実に実績を作っていく、他の大学と就職実績や就職率を競い合うのではなく、国際教養学部と英語力を争うのではなく、日本を代表する学者の卵や専門家を育てる高等教育の礎になっていこうではありませんか、というのが僕の抱く夢の一つ。

 もう少し話を詰めて展開していくつもりであったが最近、レポートを始めとする長文を書く際に、途中で気力を失って、どんどん適当になっていき終いに筆を置いてしまうことが多い。今回も勢いで久々に書いてみたものの、既に気力を失っている。続きは気が向いたらいずれ。