揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

多くの人を見送り続けた私も、最後には見送られた。

我ら此処に永遠の地を持たず、然るに未来のものを求むればなり。

ヘブライ人への手紙 13:14)

 先日退寮した寮の管理人夫婦が今日の13時を以て交代してしまった。私も五日ぶりに「帰寮」し、見送る者達の中に紛れ込み、見送られた身でありながら僅かな時間だけ見送る側に戻ってみた。そして彼らが見送られると、私は此処に在らぬ人に戻り、再び見送られ、「前」管理人を追いかけるように去って行った。

 長距離通学に嫌気がさして入寮を決断してから約二年、あまり寮の行事に関わることはなかったが、寮に入らなければ挨拶を交わすことすらなかったであろう人々と面識を持つことができたり、兄弟で共有していた子供部屋とは異なる相部屋での生活が何たるものであるのか等、多くの社会的経験を得られたような気はする。大学といえば寮生活というイメージを何処かで獲得しており、その幻想を現実の体験として記憶することに成功したので満足している。再び機会があれば大学寮に戻ってみたいものだ。二年しか在寮できず、さらには外出不可能な時間帯もあることから、監獄と称されて、その悪評ゆえに欠員があり、私はすんなりと途中入寮できたものであるが、門限は撤廃され、今の一年生と明日入寮してくるであろう新入生は四年間在寮することができるようになったので、今では人気物件である。

 共同生活というものを何だかんだで気に入った私は退寮した後も、大学寮とはまた異なった寮文化を知るべく、過去に巨大シェアハウスとして某番組でちやほやされた民間寮に移住し、新たな生活を始めようとしている。今まで自然に囲まれた大学の敷地の中に在る寮だったので騒音に関する認識が抜けており、道路沿いの部屋にうっかりと入ってしまったので、適応するのに時間がかかりそうである。