揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

生きて息る者

 じっと佇んでいるだけで汗が湧いてくる東京の夕暮れ、周囲の人々はこれでも今日は普段より涼しい日であると私に言い聞かせるが、今まで東京より平均気温が15度も低かった都市に二ヶ月も住んでいた身として、気温差というのは時差ボケ以上に苦しいものがある。東京の住処は出国前に引き払ってしまったので、ひとまず故郷へ帰省した。実家は森林の近くにあるため、そこから久々に聞こえる虫の鳴き声は帰国をより実感させる(暑さだけでも十分であるが)

 そういえば英語で夢を見れるかと言われて、母語ではない英語を基幹言語として使用できない以上無理であると即答してしまったが、よくよく考えれば英語でしか話したことのない友人が夢の中で日本語を話すわけがない。私の夢に出てくる登場人物は言わば私の頭脳が作り上げたAIがロールプレイしているに過ぎないわけだが、果たしてその擬似人工知能が不自由なく、その人の声で私に英語で話し掛けられる程、私は現実に於いて、その人の言葉のサンプルを会話によって十分に集められたのだろうか。

 東に果てにある西の国へ向かった行路は、一日が廿四時間の限界を超える人間の夢が実現する程に長かったというのに、復路の際は土曜日が半分を過ぎたところで終わり、日曜日に至っては着いた時点で半分も残っていない。時というのは、当たり前ではあるが何処か増えれば常に何処か削られてしまう、総和が決して増えないカタカナ四文字の関係である。こんなに休日が現実に短縮される、土曜と月曜が限りなく近づいてしまう日をあと何回体験できるだろうか。来年は中国に行きたいと頭のなかでぼんやりと考えているが、それには障壁が多い。