揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

攻守交替

 感情が昂っている際に与えられる処方は、気持ちを言葉で書き残すという行為である。希薄な人間関係しか持たない者は私的なことを吐き出す相談する相手がいないので、Twitterで色々と綴ってしまうのであるが、そういうことばかりしていると常に根暗な存在として認知されてしまう、間違ってはいないが。仮に現実に友人が居たとしても、一方的に語られたら、さぞや迷惑であろう(ここらへんで頭に痛みが走る)

 私は時たま言葉のキャッチボールが上手くいかず、知らず知らずのうちにピッチングマシーンと化していることが多い。ピッチングマシーンになってしまっては健全なコミュニケーションが行われるはずもなく、会話と称されたそれは最早、相手側にとっては単なるストレステストやリスニングテストに過ぎない。僕は中学時代、国語の聞き取り問題が嫌いだったので、その気持ちは大体想像できる。さて、如何に解決するべきか、そのことを友人に話したところ「今、俺と話しているように話せばいいんじゃないか」と言われたので常に機械化している訳ではないようだ。普通で良いと皆は言うが、普通以下の者が普通になるというのは、普通の者が上を目指すのと変わりないことで、上を諦めた普通の人たちの気持ちと、普通にすらなれない者達の気持ちは実のところ同じなのではないか。しかし、そんなことを言っても直す以外の選択肢は無いのである。

Oftentimes excusing of a fault doth make the fault the worse by the excuse.-Shakespeare in the play 'King John' Act iv. Sc. 2.