揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

彷徨った先にあるもの

 

 面談の時間を一時間勘違いして危うくRe-refreshmanに進化してしまうところであったが、当局の温情により無事に新しいセクションが決まった。ということで履修計画を練り始める訳であるが、何しろ今学期も成績不良であれば除籍の運命にある(実際には退学勧告に従い自主退学といった所だろうけど)。興味だけが先走り履修して、意欲、努力、そして結果も出せなかった自然科学からは「数学通論(シラバス曰く証明法、集合論など)」を除いて一時撤退をすることにした、これが永遠の別れになる可能性も否定はできない。

 

 何故、文系として入学したのに自然科学に手を染めようとしたのかと言われると、やはり自然科学に疎いことに対する一種のコンプレックスに加えて、かつて応用情報技術者という国家試験に比較的若い年で合格した経験から、そちらの適性があるのではないかという淡い期待が裏付けられた結果、強行軍してしまったことにある。結論としては、やっぱり僕には早過ぎた、もしくは遅過ぎた。

 

 自然科学系のカリキュラムは他の専攻に比べてかなり体系的であり、その分野に進みたいなら取る授業は殆ど決まっていたようなものであったが、他の専攻は、当然体系的なカリキュラムを組んでいる専攻もあるが、自由度が高めである。さて、自然科学以外の授業は去年の今頃に哲学概論と基礎音楽理論を履修したぐらいであり、そのどちらも今学期取れる授業が(能力・資格ともに)無いことから別の分野から選ぶことになる。入学試験の際に社会科学と人文科学は高得点で突破できたのだから、こちらに対する適性は自然科学よりは保証されていると信じたい。

 

 そんなところで色々と考えた結果(後述)今学期は「カルチュラル・スタディーズ入門(通称カルスタ)」、「開発学入門」、「現代人類学の諸問題」を選ぶことにしてみた。これもまた興味が先走っているのだが、ある哲学史の本を読んでいた際に現代思想の潮流としてカルスタ、ポストコロニアリズムが紹介されており、正直なところ中身はよくしらないのだが(これから勉強する)、哲学のような思想を扱う授業ではそこそこの成績を取れた実績があるので、恐らく実際に手を動かす可能性が自然科学よりも高くなるであろうという見込みがある、自分のことは自分もよくしらないので確信は持てないが少しでも可能性の高い選択をするのは重要である。それに所謂楽単という部類らしい。僕は興味関心よりも楽単であることを優先させる人々に疑問を感じていたが、こういう事情になっては僕もそういう人々に成らざるを得ない。崇高な理念は峠を越えてから再び掲げれば良いのである。現代人類学についても動機は殆ど一緒だ、構造主義の断片でも知りたいのだろう。

 

 

 ということで今学期は思想系で固めることになりました。サークルは全て休部してしまったので、勉強する時間も読書する時間もいくらでもある、尤も今までも非公式だっただけでサークル活動は殆どしていなかったのだから勉強する時間が足りないせいでこうなった訳ではない。そこらへんは明日か明後日にカウンセリングで原因を詰めていくことになるだろう。今日は地元、といっても区が違うので同じ市であるに過ぎないのだが、そこで行われる有名なお祭りがあるので、それを見に行くことにする。