揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

揮手自茲去

長い冬が明けると暖かい春が訪れる。春とは出会いの季節であると同時に別れの季節でもあり、この春私は三年間の中学校生活に別れを告げる。

そしてまた一歩、私は未知なる道へと進むことになる。(以下略)

 ご覧の通り、これは中学卒業時の卒業文集の出だしである(そしてタイトルもそこから)。何らかの形で世に名前が出る時が来たら(来ないと信じたいが)恐らく全文が公開されるのだろう。どこかで聞いたことあるような言い回しに満ちているが、当方、文学的創造に関する能力は今も昔も有していると言えるほど有していないから仕方あるまい。なおパラフレーズの努力はしているつもりである。

 さて、この時期に今更なぜブログを再び始めたのかと言うと、来月ようやく二十歳を迎える者として、その節目に今までの自分を振り返ってみたいと思った。著名人ならば伝記を書かれる機会がいずれ訪れるだろうが、私のような一般市民だと自伝として残すしかない。これまでの記憶は年を経るに従ってだんだんと薄れていくものですから、こういうのは早い方が良い。機会があれば他人に迷惑をかけない程度に書いてみたい。

 それから、こちらがメインなのだけど、何か崇高なことをしてみたかったというのがある。なにより青年期の言葉の記録がTwitterだけというのも心許ない。それに長文を書く機会というのは決して将来のためにならないということはないだろうし。要するにまとまった文章をまた書きたくなったのだ。

 先に自伝を書きたいとは言ったものの、このブログは日々現実で起こったことの記録を目的としているわけではない。「崇高なこと」をしたいという目的を叶えるべく、何か普段は話さない高次なこと、哲学、思想、社会みたいな、というのが難しければ、教養学部生という立ち位置の下で色々な分野の学問に触れる機会に恵まれているから、日々の授業で思ったことを述べる機会としてみたい。それには近頃、よく考えると昔からだが学習に対するモチベーションが皆無に等しく、それに対する動機付けになるのではないかという淡い期待もある。

 読み手を気にしなくてよい、気ままに書くというスタンスも悪くはないが、せっかくなら読者に面白く、興味深く、関心を持たれるように文体、中身、修辞あらゆる点から試行錯誤をして文章を磨きたいと考えている。

 最後に題名は「手を揮りて茲より去れば」と書き下せるわけだが、実は来年度の春学期の成績次第で私は現在いる大学から放逐される可能性があり、できれば去るのは今年ではなく、来年でもなく、三年後であってほしいと私は願っている(それは私にしか叶えられないことであるが・・・)。

 到了最危険的時候(義勇軍行進曲より)