揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

物語は唐突に始まり、去れども静かに終わる。

 こうして物語は静かに終わり、音を立てることなく閉じられた冊子は棚に並ぶ一つの物語となりました。本来悲しい話であるはずが、その物語を読み終えた私は何だか晴れた空を山頂から眺めるように心地が良かった。一つの時代が終わり、我等は次の段階へ移行する。それは唐突に、去れども静かに訪れる。

 

 終戦、という言葉は本来、単に戦いが終わったことだけを意味するはずなのに現代日本の文脈に照らし合わせると、それは敗戦という言葉と同義になる。その日の朝、私は一日の時差で共和党のクルーズ氏やケーシック氏が大統領選の指名争いから撤退したと報じたニュースを確認した。候補者争いは一部の例外を除いて大勢が決まると、最終的に開票結果が確定するまで戦い続ける公的な選挙と異なり、確実な勝者以外は去っていく。

  From the beginning, I’ve said that I would continue on as long as there was a viable path to victory. Tonight, I’m sorry to say it appears that path has been foreclosed. - Cruz -

「当初から勝利の可能性があるかぎり戦い続けると言ってきたが、今夜、残念ながらその道は閉ざされてしまったのは明らかだ。選挙戦から撤退する」(日本語訳はNHKより)

 紆余曲折あったものの何も聴かずに帰るのも癪なので空席がある直近のチケットを買ってみたが、シューマン交響曲第一番、これは彼が結婚した直後に書いた「春」の記憶、そして二つ目にファリャの「スペインの庭の夜」で先ほど聞いたばかりの懐かしくなってしまった音楽の雰囲気を味わうという、直前の出来事と関連付けが容易に為せる僕の為のプログラム構成かもしれないと思い始め、アンコールで「恋は魔術師」が演奏されると其れは神の仕業かのように思えた。

 ああ、私が何だか軽くなったような気がしていたのは、先ほど長きに渡り続いていた魔法が解けてしまった証であったと気づく。その形は初めから終わりまで何も変わっていないはずなのに、時には羽となり私の足を軽くさせ、時には枷となり私の心を重くした、半年間私を囚えていた不思議な呪いは一瞬で儚くなる。たった一言の言葉は心が描いた束の間の幻を解術するのに十分な力を持っていた。

 幾らかの涙はコンタクトが吸い取ってくれるが、それにも限界がある。ただ綺麗な終幕だったと思うので「もしも」を考えなければ、めでたし、めでたし、と全てを終わりにできる。男女の春が表現された音楽、恋という魔術に翻弄された人間の音楽、そのどれもが僕にとってはもはや「観客席」という奏者から隔離された外部の世界から眺める他人事であり、指や息で音楽を奏で続ける自律的な機械仕掛けの集団は限りなく遠くのものに感じられた。

  光り輝く絶対的な一つのものが失われると、今まで意識していなかった周りのものが前と変わって美しく光っているように見える。横須賀線の品川に至るトンネルと武蔵小杉の時計台は見慣れているはずなのに、かつてない程にとても綺麗だった。目に見える風景を虹色に変えるのは寧ろ術中に於ける現象と考えていたが、それまで僕の視界を照らしていたものは、僕にとって余りにも眩し過ぎた。当面僕は大人になれそうもない。