揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

死んだ後に残る君は、僕が読み取れる限られた君。

 実は図書館の片隅には今はもうこの世に存在しない教授が生前に保有していた図書が並べられている部屋が存在する。その先生はアメリカ外交史の先生であり、特に米中関係史へ力を注がれていたことが本棚を眺めるだけで瞬時に理解できるが、アメリカや中国に関係する図書の他にもイギリス史や英文学、そして宗教に関する本が多く存在しており、アメリカを軸に色々な物事に通じていたことが感じ取れる。そして学問のみならず中にはドストエフスキーの全集なども寂しく佇んでおり、生前の人物の隠れた一面を少し垣間見たような気分になる。そして視野には入らないソファーの裏に隠れた棚に眠っている黒い背表紙を取り出してみると1954年版と表紙に書かれた口語訳聖書が姿を現した。本学の教授であったということは、彼がクリスチャンであったことを意味しており、今も何処かで復活の日を待ちながら眠り続けているのかもしれない。その彼が眠る前に信仰の中心としていたのが聖書であり、それがソファーの背後という隠れて見えない場所でひっそり過ごしていることを思えば少し悲しい気持ちになる。別に聖書は生きている訳ではないものの、一番大事だったものは実のところ案外目立たないところにある、という普遍的な意味を持ち得る言い伝えを思い出す。

僕にとって大切なものは気づかなかっただけで、僕のすぐそばにあったんだね。僕はそれに気づかず、あの場所から離れてしまった日のことを後悔している。