揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

一つの時代が終わり、我等は次の段階へ移行する。

「君は月が綺麗なのは遠くより見ているからと言いましたが、たとえそこに数々の傷が付いていても、私の目から見えるあの月は綺麗でした。今も私の目に見えている月は変わらず綺麗です。」 

  春学期の授業が終わりを迎えた。世間一般的には夏学期、前期に相当するものであるが、私の大学は三学期制ゆえに前期、後期の二区分にはできないし、七・八月は完全に夏休みであるから夏学期というのも不自然だ。夏の間、ICU日本語学習者向けのサマースクールを開いており、基本的に寮は彼らの宿泊する場所として使われるため、僕らは寮を追い出されることになる。しかし今年は私の住む欅寮が残寮できる寮に指定されたのであるが、授業が無い以上わざわざ大学寮にいる必要もなく、図書館が目の前にある環境は羨ましいものの、現地でアルバイトをしているわけでもないので夏は実家で過ごすことにした。

 さて、成績については色々な問題があったものの、希望的観測ではあるが三学期連続成績不良は避けられそうである。カルチュラル・スタディーズの期末レポートも提出し、開発学の中間レポートもAではなかったもののB相当であり、期末試験を寝過ごさない限りはゼロ点ということもないと思うので単位の可否については心配する必要は無さそうである。今学期でカルチュラル・スタディーズや開発思想が何たるものか理解できたかというと、残念ながら未だによくわからない。しかしながら、こうして切っ掛けを得たからには、今季の授業限りではなく基本文献を講読するなどして、この新鮮な見方の入口だけは確保しておきたい。その先にある道が遠くに繋がっていたり、舗装されているわけではないが「その道があり、その道を覚えている」という事実が個人的に重要である。目的地に行ける道ではなくとも、その短い道の終点から僕が普段使っている道を見渡すことができれば、複眼的な視野を獲得することができ、何らかの発見に繋がるかもしれない。

 さて、数学通論のレポートが溢れておりますので、僕はこれからそれを処理しなくてはならないのです。能力的な問題は別としても、可能であれば理学館の住民になりたいな、と最近また思い始めている。人混みが嫌いな自分にとっては、ああいう少人数の空間が心地よいのかもしれない。少人数な分、何か人間関係に問題が生じたら、大変そうだけど(ウッ、頭が・・・)