揮手自茲去

もう一つの夢は心の中に。

小言、新世界に於いて

 好きな御節料理は何かと必修英語の先生に問われたが、僕は生まれて一度も正月に御節料理なるものを食べた記憶がないので軽い嘘を付いた。栗きんとん自体は食べたことがあるので正確には嘘ではない気もするが、文脈的に考えて御節料理という集合の中から比較するというお題の意図した作業を回避したのに、あたかも作業をしたかのように振る舞ったのだから。御屠蘇など未だに空想上の飲み物である。まあ順調に社会に出れば数年以内に体験できるだろう。

 

 二世帯住宅なので年末年始に帰るべき田舎もないし、仮に縁を切った父方の実家に赴いても所詮は同じ川崎市。周辺の区市町村と比べて川崎は税金が安いので貧困の再生産にはうってつけの地である。独立した生計を立てられるようになった暁には都民になってみたい気もするが、なんだかんだで故郷である川崎に愛着があるのか、生計云々という言い訳を考えては住民票を未だに三鷹へ移せずにいる。「川崎」、特に私が生まれて前世紀が終わるまで住んでいた川崎南部地域、世間一般がイメージしている川崎といったらそのあたり、というのは僕のアイデンティティにとって今も不可欠な要素である。

 

 早稲田に通っている友人が登録していた教職の授業で「就学援助」という言葉を知っているか教授が教室中に挙手を求めたところ、大教室であるにも関わらず自分一人しか手を上げず、貧困を知らないブルジョワ達が学校の教員になることを受け入れられないと彼が早々に授業を切った話を思い出した。

 私の家も小学生の時に両親が離婚してからは母子家庭であり(祖父母はいるものの)、母は働いていたとはいえホワイトカラーと呼べるような職種ではなかったから、市から色々と援助を貰っており、当然就学援助も貰っていた。給食費や学年費は無償になり、真面目に税金を納めていた本学の学生家族はお怒りになるかもしれないが実は修学旅行費も支給された。尤も母子家庭になったから貧困になったというわけでもなく、父親がそもそも競馬や競艇に明け暮れる軽鉄屋だったので、元来から私はそういう層に属しているのである。

 これもまた英語の授業の話であり、無料医療について賛否を議論をするという機会があったが、何せ私は高校を卒業するまで自己負担がゼロ割であり、事実上の無料医療を受けて来た身であり、当事者として当然肯定するしかないという自己弁護を強いられた議題であった。別に先のお節といい無料医療といい、不快だったというわけではない。しかし多分私の今居る世界の人たちにとっては、このような機会がないとそもそも議題のような概念を考えることがないのかもしれないと考えてみたら虚しくなる。私立文系で学費が最も高い大学であるから当然といえば当然であるが…

 

最近考えていること

 文化資本の低い人間が、圧倒的成長を期待されて文化資本の高い人間の集団に放り込まれると、忽ち精神を病んでしまうケースが多いのは気のせいだろうか。地方の人たちは東京という文化資本が集積されていそうな土地に憧れて都へ上ってくるが、本学に来られるそういう人たちは地元では相対的に既に文化資本が高かった者達が多く、都へ上がってきても順調に補うかのように適応できる。しかし何も持たない文化無産階級にとっては余りにも酸素が多すぎる環境である。

 物語は初期装備でスライムを倒しながら成長していくが、世の中には初期装備すら手に入らず、スライムすら倒せないような状態から物語をスタートする絶望的な人間達も存在する。僕はまだ恵まれた方だと思うが、良くも悪くも、この世界を垣間見て新しい世界観を知ったこと、私のような階級の者が本来辿るべき道を選んでいたら一生関わることもなかったであろう雲の上の人たちと出会い、ひと時でも仲良くできた思い出は貴重な経験となるだろう。